2016年06月18日

私は必ず先に死ぬ。一人で生きる力を息子につけてやりたかった。

父親としての生き様

息子を持つ父親は世の中にたくさんいる。

躾も愛情方法も様々だろう。

そして事故や病気などの例外を除いては、いつかは父親の方が先に死んでしまう。

今回は、自分が亡き後、その後の息子の将来を考えたある父親の手記を紹介します。引用元はcakesというサイト。

 

 

読んでいて父親として、非常に考えさせられました。

もちろん様々なやり方で子育ては行います。今回紹介する話は参考にはなれ、何もそのまま鵜呑みにして実践することでもありません。あくまで一人の父親の生き様を伝えるに過ぎないからです。

 

 

筆者も、当メディアで出来るだけのメッセージをしたためていきます。

そしていつかは此の世を去ることでしょう。確実に息子よりも早く。

その後何かの機会に息子がこのメディアを閲覧するとき、伝えきれていない部分や、何度も口うるさく伝えてきたメッセージを思い起こしてもらえればいい。

やがて息子が自分の子どもを持つようになったときに、父親としてどうあるべきかの参考書にでもなれば良い・・・そんな気持ちで過ごしています。

 

 

では、以下にcakesで掲載されていた内容をそのままの形でお届けします。

とても真面目ないい話です。

 

『田舎のキャバクラ店長が息子を東大に入れた。』

田舎のキャバクラの店長である碇策行さんが、どのように息子さんの東大現役合格を果たすまでの子育てをしたのか。碇さんも妻も水商売で、年収は低い、社会 的信用はない……世に言う「東大生の家」にありそうなものは、何もない。そればかりか、両親に棄てられたという過去もありました。
自分が死んでも、息子が一人で生きていけるだけの力を身につけさせたいという思いで、碇さん自身が必死に子育てに向き合ったそうです。

 

 

勉強より、ありがとう。

 息子が東大に合格したというと、特別な英才教育でも受けさせたのではないかと思う人もいるだろう。でも、私はそんなことはしてやっていない。私のほうが 先に死ぬのだから、私がいなくなっても、息子が生きていけるようにジリツさせることだけを考えて、息子に接してきた。

 なかでも大切にしたのが『あいさつ』だった。あいさつがきちんとできれば、他人に嫌われることは少ない社会の中で生きていくには、重要なことだ。とくに「ありがとう」は魔法の言葉だ。「ありがとう」が言える人間になってほしいと思った。だから、私自身が手本となった 
 買い物で商品を袋に入れてもらっても「ありがとう」。お釣りをもらっても「ありがとう」。「ありがとう」を口癖にした。
 もちろん、私と息子との間でも「ありがとう」を欠かさないようにした。ときには、息子が缶ジュースのふたを開けることができずに私に開けさせると、息子が「ありがとう」と言うまで、缶ジュースを手渡さないというような意地悪もした。  
 また、私は子供のころ『寝る前の歯磨き』が嫌だった。眠いのに歯を磨くのは面倒だった。それに歯並びが悪く虫歯が多かったため、歯科医院で治療をするときに痛い思いをした。息子が寝る前の歯磨きが欠かさずできるようになれば、少々面倒なことでもやり続けられるようになる気がした。

 時代が変わっても、男の子は怪獣が大好きだ。息子の遊び道具も怪獣ばかり。部屋の中は怪獣が散乱し、足の踏み場がないことなど日常茶飯事だった。遊び終わった怪獣たちがそのままになっていると、息子と一緒に片付けた。  
 しばらくして、息子が片付けをサボり、妻や私に片付けさせようとしたときがあった。そのとき私は、
「自分で後片付けができないのなら、要らないものですね。それなら捨てますよ」  
 と、息子に言って、散乱した怪獣たちをゴミ箱に詰め込んで捨てた。息子は目に涙をためて私を見つめたが、容赦はしなかった。  
 この方法が正しかったのかはわからないが、息子は、「片付けなさい」と言うと、自ら片付けるようになった。いつのころからか、『使ったら戻す、元の位置』という合言葉ができあがった。

 

 

できる喜びを感じられるように。

 2歳になる年の4月、息子は保育園へ通い始めた。  
 保育園の少ない街ということもあったのだろうが、縁というのは不思議なもので、息子が通いだした保育園の主任保母は、私の母が『給食のおばさん』をしていた保育園で、母と一緒に働いた方だった。  
 もちろん、母が家を出ていった当時のことをよく知っている方で、私のことを心配してくれていた。その方は、成長した私に十数年ぶりに会って、涙を流したほどだった。

 妻の実家に預けられた息子は、妻の実家から通園バスで通うようになった。保育園の帰りは、日中ぶらぶらしている私が迎えに行く。息子と二人での自宅まで 約20分のドライブは、保育園でのでき事や、妻の実家でのでき事など、息子が体験したことを聞くことのできる、私にとっては貴重な時間だった。  
 そのうちに息子が、道路沿いの看板を指さして言った。
「ちゃんさぁ、あれって○○って読むんでしょ?」
「うん、そうだよ。すごいね。どうして知っているの?」  
 私が教えていない漢字を読んだことに驚き、息子にたずねた。
「あのね、漫画に載ってた」
「そうか、いつも読んでる漫画に載ってたんだ」
「うん、漫画に載ってたのと同じだもん」

 はじめは毎夜預けられている妻の実家で新聞の漢字に興味を示し、妻の父親にたずねたのがきっかけだった。そのうちに漫画を読むようになって、漢字を形で 覚え始め、子供向けの漫画には漢字にルビ(ふりがな)が打ってあるため、徐々に訓読みや音読みといった違った読み方や違った漢字との組み合わせを覚えて いった。  
 前の自動車のナンバーを見て、数字を足したり引いたりして計算を教えるようにもなった。息子と自動車に乗ると、車内はクイズ大会のようになって、楽しい時間だった。

 妻と私が仕事へ出かける時間は毎日同じ。必然的に生活が時間通りに進む。
「長い針が6のところに来たら、お風呂に入るからね」  
 というように、時計の針の位置で具体的に息子に伝えるようにした。しばらくすると息子は、時計を見ながら、
「長い針が6のところに来たら、お風呂に入るんでしょ」  
 と、言うようになり、時間を意識する生活が身についていった。

 学ぶことも生活の延長で、遊びと同じだった。わかる喜び、できる喜びを知って、学ぶことは楽しく、生きていくうえで必要なことだと感じてほしかった。  
 そのため、息子が興味を持つことにはすべて答えてあげるように心掛けた。もし答えられないようなことがあったら、「明日までに調べておくから」と言って、次の日には答えられるようにした。
「あとでね」と言われたまま、答えてもらえなかった私の子供のころの経験、「相手にしてもらえない」「嘘をつかれた」という両親に対して感じた『寂しさ』を、息子には味わわせたくはないと思った。

 息子が少し大きくなっても、「もしかしたら息子を棄ててしまうかもしれない」という不安が、常に私を襲っていた。私がいなくなっても生きていけるように、と常に考えて、息子と接した。毎日が真剣勝負だった。  
 トランプもボードゲームも真剣勝負だった。息子相手にいつも真剣勝負をしていた私に妻があきれて、
「相手は子供なんだから、そんなにムキになって勝つことないじゃない。負けてあげればいいのに」  
 と、言ったが、私はこう返した。
「世の中には自分より強い存在、上には上がいるってことをわからせてあげるのも必要なんだよ。どうせそのうちに、俺が勝てなくなるときが必ず来るから、それまで俺は自分から負けてあげるなんてことは絶対にしない」

 

 

 

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いい話でしたね。

 

 

父親としてどうあるべきか、考えさせられました。