2016年07月21日

子どもの記憶はいつ頃から鮮明になりだすのか?

Chichitoko満2才・・その日別れの日と重なる

昨日で当メディアが満2才を迎えました。早いものです。「子どもの成長を楽しもう・・」というテーマを元に様々な角度から世の中のニュースを交え掲載してまいりましたが、あっという間に2年の月日が流れていました。

 

 

同日、幼稚園時代からの息子の女の子の友だちが父親の転勤に伴い、地方に引っ越してしまいます。その送別会を我が家で開催していた日でもありました。

 

 

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玄関先での締めの花火大会。

中には初めて花火というものを自分で行うという子も。

思い返せば、月に数回は我が家に遊びに来ていた為、この子たちの成長を見届けながらの2年間でもありました。

 

 

一緒に遊び、一緒にご飯を食べ、一緒にお風呂に入る・・

いつもと変わらない日常。

 

 

しかし別れは突然やってくるもの。

都心から車で6時間、新幹線で2時間の距離とはいえ、子どもたちにとっては、そうそう滅多に会えなくなる距離です。

今月いっぱいは現在の住まいに居るということで、まだまだ子どもにとっては本当に会えなくなるという意識が薄いのかもしれません。

いつもと変わらぬ光景を母親たちが涙をこらえ見守る姿が焼けに印象的でした。

 

 

筆者の頭の中にはこんなことが駆け巡っていました。

一体この子たちはいつまで一緒にお風呂に入れるのだろうかということ。

小学1年生ながら男女の差もあり、そうそういつまでも一緒にはお風呂に入れなくなるでしょう。あと1年なのか2年なのか。少なくとも小学4年生くらいでは早い子でホルモンの関係で女子の方が成長過程で変化を及ぼされます。その頃にはもう完全に男女別になるのか・・?筆者の記憶を遡っても既に覚えていません。そう、子どもの記憶なんて曖昧なものです。特に小学3年生か4年生くらいから頭の中にインプットされ、記憶として微かに残り始めるといったところでしょう。だからこの日の出来事も彼ら子どもにとっては記憶に残らないかもしれない。まだまだこれから先様々な出来事が生じ、彼らの記憶は新しいものから感情移入され、心の中に刻まれていくはず。

 

 

母親同士もプレゼントの交換会を行い、もう涙、涙の世界に浸っていました。そして彼女たちの記憶の中にはこの日のことが鮮明に刻まれることでしょう。

 

 

大人と子どもでは、記憶という観点ではこれ程違いを生じるのです。

 

 

だから、子どもの成長記録を残すということは、やがて彼らが成長し、記事や写真を見返したときに、所々ではあるが記憶の断片が蘇り、自身の思い出を思い返すことができる唯一のツールにもなります。

 

 

また逢う日まで・・・

 

 

親はそんなことを思い、

 

 

また遊ぼうね・・・

 

子はこんなことを思って過ごした1日でした。